代表者プロフィール
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資格等
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税理士
中小企業診断士
CFP®
経済産業大臣認定 経営革新等支援機関
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趣味
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テニスや山登りなど、体を動かすことが好きです。
略歴
昭和38年(1963) 東京都大田区生まれ
都立三田高等学校卒業・国際基督教大学卒業
昭和61年(1986)から平成2年(1990)まで 西ドイツ(当時)に留学、哲学を専攻
平成2年(1990)から平成14年(2002)まで (株)新潟鐡工所に勤務し国際営業に従事、
うち5年間は欧州駐在員としてオランダに在住
平成17年(2005) 税理士登録
平成25年(2013)中小企業診断士登録
令和3年(2021)CFP®登録
ここでは、自己紹介も兼ねて、私がどのように税理士になったのかということを、簡単にスケッチしてみたいと思います。
しかし、なにしろ回り道の多い「税理士への道」なので、前置きばかり長くなりそうですが、悪しからず、お暇な時にお読みください。
私の父は税理士でした。そんなわけで、私も小さい頃から税理士の仕事ぶりは知っていたのですが、子供にとって税理士の仕事が面白く見えるはずもなく、また、親から勧められたこともないため、ごく最近まで税理士になろうとは思っていませんでした。
中学・高校とバレーボール部に所属する普通の(?)生徒が、何を血迷ったのか大学では哲学を勉強することとしました。
大学時代にはワンゲル部に所属し山登りに明け暮れ、また下宿の同居人が演劇関係者だったことより、芝居などというものにどっぷりと足を突っ込み、その合間に哲学書のドイツ語原典と悪戦苦闘するという、実に世の中の役に立たないことに夢中になっている間に、大学4年生の就職の時期を迎えることとなりました。
私の大学卒業当時はバブルの絶頂期で、就職は楽勝、特に金融機関への就職は絶好調、といった時代でした。
私はそういった風潮が嫌いだったので、なんとか逃げ出したいと思い、親に頼んでもう少しすねかじりをさせてもらう許可を得て、ドイツで哲学の勉強を続けることとしました。
でも、ドイツでの一人暮らしはやはりなかなか大変です。
何度か山登りに行って息抜きをしつつ、私なりに一生懸命に勉強したつもりなのですが、所詮は鉄砲玉、哲学で身を立てるすべもなく、結局ノイローゼになって3年半のドイツ滞在から帰ってきたのが平成2年(1990年)の春。私が嫌いだったバブルもようやく終焉を迎えようとしている頃でした。
日本に帰ってくるとノイローゼも治り、さすがに就職しなければという気になりました。
背広を買って2,3社就職活動に励んだところ、幸いなことに(株)新潟鐡工所が海外要員を求めているとのことでご縁があり、この会社でいろいろな経験をさせていただきました。
最初はプラント建設プロジェクトのアシスタントとして1年、つぎに工場実習と称して組立工の真似事をさせていただいたのが1年、そして配属された工作機械国際営業部ではハードな長時間労働に耐える日々が続き、さらに欧州駐在員としてオランダに5年、営業の先兵や技術導入の折衝役としてヨーロッパを飛び回る日々が続きました。
5年間の駐在期間を終えて日本に帰ってきたのが平成13年(2001年)の夏。課長にしてもらい、さあこれからというその年の秋、なんと会社が倒産してしまいました。
会社の倒産は出張先の工場で知ったのですが、先行き不安な気持ちやら失望感やらでがっくりと当時住んでいた社宅に帰ってくると、今度はかみさんから実は3人目を妊娠しているということを告げられ、これには呆然としてしまいました。
男 篠川徹太郎38歳、人生の岐路です。
このまま会社に残るか、転職するか、それとも税理士になるか・・・
父は以前から、72歳で引退したいと言っていました。そこで私は、会社を辞めて煙草も止めて、職安に通いながら税理士試験を目指すこととし、ある程度の基礎知識を得た段階で、父の事務所で働かせてもらい、税理士業務の基本を叩き込まれることとなりました。
結果として、苦節克己の3年間、3回の受験で税理士試験にパスした年が父の72歳の誕生日であったということで、ぎりぎりセーフの親孝行といったところでしょうか。
ちなみに合格した科目は、会計2科目のほか、相続税法・法人税法・消費税法です。
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